『レンジャー』を、ご存知でしょうか?

陸上自衛隊のレンジャー部隊
それは、自衛隊で最も過酷な訓練と言われており、精神力・体力の限界を超えられた者のみがレンジャー隊の勲章を着用できるようになります。
アグリカルチャー農業男子の一人は
レンジャー隊員だった”屈強な男、タカ男”
彼の『俺が守るべき者達』を、オアシス倶楽部IT事業部 大山がインタビューさせていただきました。
「俺が守るべきもの・・」
「俺が守るべきもの・・・」
「うーん。家族って言ったらいいのかもしれないですけど…」
『家族』に対してとても想いのある彼が本当に守るべきものは、何なのでしょう。
タカ男くんの幼い頃から追っていきたいと思います。
姉と弟に挟まれた3人姉弟の真ん中
弟が生まれて間もない頃に両親は離婚、父と祖父母に育てられました
姉には、幼い頃に罹った感染症の影響で、今も少し足や知的障害があります
弟については、、また後ほど
小学3年の時、野球を始めました
「親に無理やりやらされた」とタカ男くんは呟きます
当時は「友達と遊ぶのが楽しくて、野球なんてやりたくなかった」んだ
かと言って、親に反抗?
「ないない、そんな事はできない」
そうして始めた野球は、普段の練習が・・・「つまらない」
でも、誘った友達も一緒にやることになった時に、少しだけ楽しさを感じるようになって、試合に出られるようになると、できない悔しさはあるけど、面白さも感じるようになりました
この思いは、この先何度も味わうことになります
小学高学年の頃には、3歳年下の弟も一緒に野球をやるようになっていました
無理やり始めた野球を「中学校にあがってもやりたい!」と思えるようになった時、家庭の事情で野球ができなくなりました
一人親である父の姿を見ていたタカ男くんは、何も言うことなく、野球を諦めたそうです
「中学校で野球をするには、お金がかかるから」
タカ男くんは自分に言い聞かせました
でも弟は・・・それがきっかけでグレてしまった…
そこから弟は若い、自分自身がまだ子どもの内に当時付き合っていた彼女との間に子どもを授かったけど、親に認めてもらえず結婚することもできず、今に至っても一度も結婚することなく、夜職の雇われ店長として働いています
今まで、家族にはほとんど関わってこなかったタカ男くんですが、最近はそんな弟さんとも話をするようになったそうです
さて、話は学生時代に戻ります
「中学校で野球をやれてないから、もう通用しない」そう思ったタカ男くんは高校進学時、野球をするつもりはありませんでしたが、友達に誘ってもらって再び野球を始めます
再開した理由はもう一つあります
「野球をするのに、中学校ではお金がかかった。当時親にそれを負担してもらうことができなかった。でも高校では、お金をかけることなく野球ができた」からです
やっと野球ができるようになって、さぞ楽しんだのかと思いきや
「野球に、楽しさはなかった…」
中学校でやっていなかった分、試合で結果を出さないといけないプレッシャーや、できない事への悔しさが強かったそうです
でも、そのプレッシャーを乗り越えた先、試合で活躍できた時は、最高に「嬉しい!」も味わいました!
「野球ばかりやって勉強していなかった」と話すタカ男くんですが、高校での選択授業では、簿記や情報処理、原価計算等、しっかりと将来を見据えて資格をとる頑張りをみせます
本当は、大学に行きたかったんです
でも、「自分の学力では志望する大学には行けなかった」と言い聞かせますが本当は、
金銭的にキツくて『大学に行く』という選択をできなかった
親父には頼めなかった
そんな時、ある『人』が登場します
ずっと野球の練習を見に来ていた『おじさん』がいました
元自衛官だったそのおじさんに勧められて、自衛隊の道に進むことを決めます
自衛隊には、すごく厳しいイメージをもっていました
高校3年間の野球の辛さに比べても、きっともっとキツイんだろう
そう思って入った自衛隊は、なんのなんの
「楽すぎる」
「やりがいを感じられない」
「こんな事で国を守れんの?」
入隊当初、公言した通リレンジャーに挑戦します

「言ったことはやる!」
「挑戦してみたい!」
男気溢れる彼らしい言葉です
挺動(ゲリラコマンド)の能力を付与するため、天候・気象に関わらず、長距離かつ数昼夜に渡り諸種の悪条件を克服して任務達成するレンジャー訓練
食料の携行量は徐々に減らされていき、体力的にも精神的にも追い詰められます
水でさえ、キャップ何杯の世界
人と分け合う精神が問われます
余裕がある時には、食事も他の人を優先できる
でも、段々余裕がなくなっていくと『自分の食事のことしか考えてない隊員にイライラしている自分』がいる
余裕がない時にでも、どれだけ『変わらぬ行動』をとれるのか
自分はどれだけ追い込まれて、人を助けられるんやろう
その時感じた事を彼は話してくれました
そして、見事に任務を達成!
しかし、レンジャーという極限の世界を経験した後、当初から決めていた「レンジャー卒業したら(自衛隊を)やめよう」を実行します
自衛隊ということろにいては、自分は甘えてしまう
「すごい!」って言われるけどその反面、その言葉に恥ずかしさがあった
すごい人間ではない、自分なんて…
やっている事に意味を見いだせない、ここにおったらいかん…
「自衛隊で何かを得た感覚はない」と話すタカ男くんですが、
得たと思えたのは唯一、『人脈』だったそうです
そう、その人脈こそが、今いる場所につながっています
この頃『バディ』だと言われる程にずっと一緒にいたのが、田坂優也さん
寝食をずっと共にしていたのだとか
優也さんの退職の影響も受け、レンジャー経験のタイミングも重なり、自衛隊を辞める事を決めた時
「俺も優也さんみたいに稼ぎたい!」という思いに溢れました
でも実際に、今まで自衛隊にしかいなかったんですから「どの仕事が稼げるかわからない…」
仕事の相談を優也さんにしたことがきっかけで、代理店としての仕事を始めます
は、いいですが
まぁ問題ばかりを起こしました
会社に迷惑ばかりをかけました
当時の事を振り返って、彼は言いました
「自分の事しか考えていなかった。自分が数字をあげることしか。だから、お客さんの事を何も見れていなかった。」
とても不甲斐ない思いをしました
ただ、これまでの人生で一番楽しい!と思ったこと
それは、この頃にあったんです
『チーム戦』
チームの為に、一丸となってやる
チームに貢献できることに、やりがいを持てていました
でも、やった事が結果、問題ばかりを起こして、その後続けることは難しく、「農業をさせてもらう」事になります
「会社にチャンスをもらったのに、生かせていない」
「今は農業をさせてもらっている」
「農業を与えてもらった」
最低限僕のできることで返していきたい
そんな思いで今、彼は農業に向き合っています
いつも、なんとか自分の力で稼いでいきたい
稼いで成功したい
そう思っているタカ男くん
彼の口から、こんな言葉を何度となく聞きました
「僕みたいな人間は、追い込まれないと変われない」
結婚をして3人の子どもにも恵まれて、今まで関わってこなかった家族の事も考えるようになった
障害のある姉は、先々僕がみていくことになるだろう
弟とはお互いに「このままではあかんな。一緒に何かやろう」そんな話をするようになった
だけど、自分がもった家族に対しては、自分が独身だった頃と何も変わってはいない
奥さんや子どもたちの選択肢を増やせていない
やると言ってやらない嘘つき大魔王に、俺はなりたくない
本気なら行動に移せるはず
なのに、行動に移せていない自分がいる
苦悩と葛藤のタカ男
最後、彼に改めて聞いてみました
「全部取っ払った時に『俺が守りたいと思うもの』は?」
彼はこう言いました
「家族って言ったらいいのかもしれないですけど・・・」
無言になって考え込む時間が過ぎた後…..
「自分の信念」
そして
「執念」
そんな言葉がでてきました
今回このインタビューを通じて、改めて自分自身を考えることになったタカ男くん
彼がこのアグリカルチャー農業を通じてどんな風に成長していくのか陰ながら応援させてもらいたい
そんな気持ちに、私はなりました
オアシス倶楽部IT事業部 大山でした!

